逗子でCOPETEN

逗子でCOPETEN

”コぺ転”とは、考え方やモノの見方が180度がらっと変わること。都内から逗子に移住してみて感じたコぺ転を書き綴ります。

COPETEN-020 楽園に思うこと

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 朝起きると、と言うよりは起きるきっかけになったと言った方がよいタイミングでの一通のLINE。

「おばあちゃんが倒れました。今から福井に帰ります。」と。

 母方の祖母は福井に住んでいる。祖父が10年前に他界してからは、小さな身体にはむしろ不便なのではと心配になる大きな家で暮らしている。

 叔母さんや、いとこ家族が近くに住んでいてこまめに様子を見に行っているのでそこまで心配はしていなかったが、24時間見守っているわけではない、その盲点を突かれてしまったように祖母は朝方倒れてしまったようだ。

 幸運にも普段は来ない親戚が来訪して返事がなく水の音がすることを不審に思い祖母を発見してくれた。病院の先生曰く、倒れた時の怪我の状況からして、祖母は5〜6時間ひとり大きな家で横たわっていた。

 

報せを受けたのは金曜日の朝。どうにか午後から全ての仕事をキャンセルして福井に行く算段をつけて、着替えなどを鞄に詰め込んで会社に向かった。だが、時間的にその日に祖母に面会はできなさそうであり、土曜日に福井へ向かうことにした。

 家から5時間かけて着いた福井駅では母とおじさんが待っていてくれた。母は「集中治療室でチューブに繋がれた姿にショックを受けるかも」と僕に言った。

 祖母はピコピコやかましいヘンテコな機械をたくさんつけてはいたが、スースー寝ていた。その姿を見てなんだかホッとしてしまった。きっと僕はもっと絶望的な祖母の姿と対面するのだと思っていたのだろう。 

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 その夜は祖母の家に母とおじさんと泊まった。スーパーで買ったお寿司屋さんが作ったという触れ込みのパックのお寿司が安くて美味しいこと、おじさんの子どもがもう12歳になっていたこと、そんなたわいもない話をしながらも、みんなそれぞれにいつか訪れるその時を覚悟せないかんな、そんな空気が流れていた。もうクーラーなんていらなくて、秋の虫の声しか聞こえない静かな夜だった。

 ここ最近寝不足だった僕はいつもより随分早く布団に入った。寝ることに慣れていない時間だからなのか、久しぶりの部屋だからなのか、いつもより硬い枕だからなのか、今日という日のせいなのか、よくわからなかったが、なかなか寝付けなかった。

 

毎年夏休みはこの福井の家に来ることが我が家の夏休みだった。おそらく僕が高校を卒業するまでは毎年欠かさずきていたのではないか。小さい頃の僕はこの福井に行くことが一年の中で何よりも楽しみだった。前日は必ず興奮して寝れなかったし、福井に行く車の中ではひたすら何かを喋り倒していた。福井に着けばいつもニコニコしているおじいちゃんとおばあちゃんがいて、彼らが作る何種類もの野菜の世話を手伝い、抜群に綺麗な福井の海で見たことのない魚や蟹をみつけては驚嘆し、夜は決まって美味しいお寿司が出てきた。ここは、僕にとっての楽園だった。

 社会人になってからも、毎年ではなかったけど、何度も福井には足を運んだ。歳をとり、都心に暮らし、お金を持った僕に対してこの場所と住む人は何も変わらず受け入れてくれた。来るたびに何かを洗われて背筋を伸ばされて、心にほんのり温かい火を灯してくれて帰れる場所だった。

 

いま、その楽園の守り人がスヤスヤと寝ている。この人が起きるのを放棄してしまったら、僕は楽園を失うことになってしまうのだ。なんとなく、いつかそういう日が来ることをわかっておかなきゃいけない立場であるし、嫌だと泣きわめくようなキャラでもないので眠れぬ部屋の天井をぼんやり眺めることしかできなかったけど、その日は確実に近づいて来ているのだろう。

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僕はこれから考えるのだと思う。この土地と繋がっておく口実を。もちろん、叔母さんやいとこはいるんだけど。それだけではない、僕にとっての楽園であるための理由を。今まで僕にとっての楽園を作ってきた祖父と祖母がいなくなっても、僕にとっての楽園なんだ!と、言える理由を。だって、ここは僕が生きて行くために不可欠な場所だから。 

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 畑でとれて食べるために祖母がこしらえていた豆は廊下に置いたままだった。神頼みしかできないが、長年ここに暮らしてきた家主がこの大きな家にもう一度帰って来ることを心から祈っている。