COPETEN-019 絶対に帰りたい日がある、帰る場所
SNSの普及で色々な人の様々な生活シーンを垣間見られることってすごいことだなぁって思います。InstagramやFacebookを開けば、今もしくは近い過去にその人が見て感じていた風景が飛び込んできます。
なんでそんな話をしているかと言うと、この前Instagramを見ていたらひとつ気づきを得たからです。気づきというか自分の中に潜んでいたコンプレックスのようなものでしょうか。
少し遠回りな話になりますが、幼少期は父親の勤めていた会社の社宅が渋谷にあったので本当に都会の中の都会に住んでいました。この数年間の恩恵は大きく、これまでに何千回と「渋谷育ち(悪そうな奴ら大体トモダチ)」と言っては羨望の眼差しを勝ち得てきました。
そこから世の中はバブルを迎えマイホーム争奪戦です。僕も毎週色んな場所のモデルルームに連れて行かれていたのを覚えています。当時は景気がありえないくらいよくて、ありえないくらいお金が世の中に流通していたのでしょう。本当にみんなが家を欲していて、抽選してもしても全く買えない、そんな状況でした。
で、ついに抽選で当たった!と言うことで購入したのが埼玉県飯能市。
大都会東京の中の流行の発信地、渋谷で育ってきた僕からすれば全てがカルチャーショックでしたねぇ。店がない、山がある、人が少ない、バッタがでかい云々、、、
まあまあ、色々とギャップはありましたが、それから大学を出るまで15年近くお世話になった飯能は今でも好きな場所です。
ただ、「好きな場所」なんです。それ以上でもそれ以下でもなく。
自分人生に欠かせない場所か?と問われたら、「そうでもない」と答えてしまうくらいの場所なんです。
僕が住んでいたのは、当時バブルの流れで山の上を切り開いて同じような家を大量が並んだ分譲地でした。大げさな表現ではなく、そこには本当に「家」しかなかったです。歴史ある神社も昔ながらの商店街もスーパーもコンビニも…なにひとつない場所でした。そして、そこに住む人全員がその土地で生まれたのではなく、どこかから引っ越してきた人でした。
でも、幼少期から過ごして来た環境がそうだったから、それが当たり前だと思って過ごしてきました。しかし、大学や会社に入るとそれまで以上に様々土地で過ごしてきた人たちと出会い、いろんな土地でいろんな生活があることをじんわりと気付き始めました。「暮らしを比較する」、ということでしょうか。
それからずっと心の底に燻るものがあったんだと思います。東京に出てきたり遠く離れた土地にいても帰るべき場所、帰りたくなる場所がある、そんなものに憧れていたんだと思います。
先日、Instagramで富山の「おわら風の盆」の投稿をたくさん見て、本当に素敵だなぁと。遠くに住んでいてもこの時だけはみんなが街に帰ってきて夜遅くまでお祭りを楽しむ。
街と人が見えない絆で繋がっていて、お祭りによって街全体が同窓会のようになる。歳を重ねたからこそ話せるはなし、離れたからこそわかるその町の良さに気づく。そんな情景を人様のInstagramから想像をして、ああいいなぁ…悔しいなぁ…と思ったわけです。
そんなことを言うと、そんなの年に数回で普段は不便で刺激がなくて、都会の生活の方が云々…と言われてしまいそうですが、結局人の生活というのは無い物ねだりの人生なのですかねぇ。
だからこそ、僕はこれから住む自分の街でどんな思い出を作って、自分の子どもがそこでの生活をどう捉えるのか、とっても楽しみでもあります。だって、子どもは住む場所を自分で選べないから。
それは親としてしてあげなくちゃいけないことなんでしょう。